今の日常が永遠に続くかのように思えるけど
平日は仕事をして、休日は出かけたり休んだりして、そんな日常を過ごしていると、こんな日々が永遠に続く家のように思える時があります。ですが、必ず人はいつか死を迎えますし、それは自分も例外ではありません。
そんなことは分かっているのに、嫌なことがあるとそれが永遠に続くかのような錯覚を受けることもあります。
もう仕事に疲れたー!!
終わりなんて、ないんじゃないかっ!?
若くして亡くなった友人
僕は中学生や高校生の頃に祖父や叔母が亡くなっているので、人はいつか死んでしまうということは理解していたつもりでした。ですが、15~16歳ぐらいだと祖父や叔母はずっと年上の人間で、自分がいつか死ぬという感覚を得るほどの衝撃はありませんでした。
そんな僕が大学2年生の頃に良く遊んでいた友人が白血病を患い入院することになりました。当時はインターネットは普及しておらず、白血病がどんな病気かは周りの人に聞くぐらいしかできませんでした。多少は知っている人も専門家ではないので、重い病気といったぐらいの印象を抱いていました。そして、みんなでお見舞いに行くと割と元気そうだったので、早く退院できたらいいのになぁぐらいに思っていました。
それから暫くして、僕が大学3年生となったころに共通の友人から電話がありました。
Kのことなんだけど、連絡があって亡くなったみたい・・
!?
はぁ!?
何言ってんの・・!?
いや、本当に。
XX日にお通夜があるんで、準備しておいて・・・
・・・・
えっ・・・?
本気で言ってるの・・・?
僕はこの時ほどに衝撃を受けたことはありませんでした。未だに人生で一番衝撃を受けた事件でした。歳の離れた親戚が亡くなっても、死が自分に近いところにあるとは全く思えなかったのですが、同い年の友人が亡くなったことで、死は自分の身近にあるものだと痛感しました。
葬式を終え、日を改めて親御さんに挨拶に行ってみた
葬式も終わり、暫くたってから友人らと線香をあげに実家を訪ねてみました。その際に友人の母から話を色々と聞いたところ、病気が発覚した時には既に手遅れだったようでした。本人には伝えてない(伝えられんわな・・・)そうで、僕らがお見舞いに行った際は退院して復学を目指していました。今にして思えば、元気そうに見えたのも気丈に振舞っていただけだったのかもしれないと気づき、もっとお見舞いに行ってやれば良かったと未だに後悔しています。
退院してくると悠長に思っていた・・・
後悔しかない・・・
この件から変わったこと
気が付けば僕も50年近く生きて来れましたが、この件があってからは自分は今日死んでしまうということもありえるんだよなぁと思うようになりました。それで投げやりになるのではなく、今できることは今やっておこうと思うのです。
何かを先延ばしにしていると、その日はやってこないかもしれないのです。
そう思い、そう行動するようになってからは、何かに後悔することは徐々に減っていきました。若い頃はああすれば良かったとかこうすれば良かったとか、色々と過去を改変したくなりましたが、過ぎ去った過去に捕らわれるよりも、今できる最善をすることで、いつ死んだとしても後悔しない生き方になるんじゃないかと思います。
あれから30年近くたっても、あの日の後悔は消えない。
せめて彼が生きていたことを忘れないのが供養になるんかなぁ?